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マスター

常になにかしら荒んでいる僕は今夜も街の珈琲屋に足を運ぶ

熱々のコーヒーカップに注がれるマスターの淹れた珈琲は苦く、香り高く、心を休めてくれる、そんな一杯だ





絶え間なくジャズが流れ、アンティークで埋め尽くされている店内の片隅には小さな本棚がひっそりとたたずんでいる

心理学、エッセイ、長崎の案内本…僕が今日手にしたのは、とあるおじさんジャーナリストが記したひとり旅日記

決してメジャーではない観光名所を数々巡り、歴史に触れ、おいしいご飯、お酒に酔いしれるといったものだった






気付くと2時間以上が経っていて、本をもとにあった場所に戻し、そのままマスターの前に立って「お会計、お願いします」と告げる

いつもだったら支払いを終えると、ごちそうさまでした。と一言述べて外に出る

だけど今日は、白い髭の渋いマスターに話しかけてしまった





だいちょまん「本棚にあった本、お借りして読ませていただきました。マスターは旅…するのはお好きなんですか?」

マスター「その本は作家さんから直接頂いたものなんです。僕自身…旅をすることにはあまり興味がなくてね。その代わり、そういった旅で来てくださった方々を出迎える。それが僕の役割かな」

だいちょまん「なるほど…。僕も今年の夏にこのお店の温かい光に誘われて珈琲を頂いてからというもの、街まで来たら通うようになりました」

マスター「(笑)」






だいちょまん「あの本を読んでいたら、なんだろう…漠然とだけど、旅がしたくなりました」

マスター「旅…というものは、自分が住んでいる国と離れた国との間にある違いを知ることが旅なんです。自らの国のことを知らないまま世界に行ったとしてもなんの意味もありません。それは単なる観光です」

「なにより、最近はなんでも写真に撮っておさめようとするじゃないですか。あれ、僕はいただけないんです。撮ること自体が目的になってしまっている。大事なのは(胸に手を当てて)ここにしっかりと刻みつけることですよ」





軽い気持ちで旅がしたいだなんて口にした僕は、マスターの話を聞いてすぐに後悔した

マスターの穏やかな口調のなかに見え隠れする力強さに僕は心を躍らせる

そして僕は、当時職場での悩みをマスターに吐き出してしまっていた



だいちょまん「とある上司がいるのですが、その方の口癖が『今の若者はダメだ』で僕たちゆとり世代というものを見下しているんです。確かに我慢強さであったり、会社への忠誠心であったり劣る部分はあると思います。だけどその上司の凝り固まった価値観とかプライドを押し付ける姿勢、あなたこそ変わらなければいけないのではって?…罵詈雑言にまみれた毎日…辛くって…」

マスター「……実は最近、この歳にてようやく“生きる”ということの意味が分かってきたんです。それはね、どれだけ心の尺度を広げられるか、なんですよ」

「魂と魂は離れてるんだから、押し付けるものではない。母親から赤ちゃんが生まれる。その時点で魂はもう別物なんです。だから僕は子には最低限人の迷惑にならないことを教育してあげればあとは干渉しないようにしています。その子が好きなように、生きればいい」







マスターの言葉を聞いて、一番視野が狭くなってしまってたのは自分自身だったんだと気づかされる

わかりあえなくて当然なんだ。だからせめて僕自身が同じことしないようにしっかり生きなくちゃならない

いろんなものに触れ、いつか、旅に出られたらいいな



教えてもらったこと、ずっと頭の引き出しのすぐ出せる位置にしまっておきたいと思う。いや、引き出しにいれておくのはもったいないな。頭の中にポスター貼っちゃおう





素敵な授業と珈琲、ご馳走さまでした


珈琲屋の人々 (双葉文庫)

珈琲屋の人々 (双葉文庫)