春、戻る

瀬尾まいこ「春、戻る」という小説を読む。

 

 

春、戻る

春、戻る

 

 

だいちょまんが思春期(反抗期?)の頃に瀬尾まいこ先生の本をたくさん読みました

「天国はまだ遠く」「幸福な食卓」「図書館の神様」「温室デイズ」「強運の持ち主」「戸村飯店 青春100連発」…

先生の紡ぐ文字には、誰にでもあるけどなかなか形にできない不安な気持ちをふんわりと温かなベールで包んでくれて和らげてくれる…そんな力があります

胸が締め付けられて苦しくなるようなこころをえぐってくる描写や

“受け入れる”ことに向き合うことで生まれる辛さや喜びの感情に触れたくて先生の本を手に取っていた記憶です

 

高校卒業して以来全く読んでいなかったのですが、本屋でたまたまこの本が目に留まり、『これは…いまの自分が読まなくちゃいけないやつだ』とどことなく感じるものがあり購入

 

案の定、いまの自分と重なる場面がいっぱいあって頭がくらくらしちゃったけど、主人公さくらの前に現れた謎の年下のおにいさんとのやりとりはとても楽しくてどんどん惹き込まれていきました

 

おにいさん「僕の妹の名前は望月さくら。36歳、誕生日は12月27日だ。冬生まれなのにさくらって名前なんだよね」

 

あ…さくらとだいちょまんは同じ12月27日生まれなのね。勝手にさくらにシンパシー。年はおにいさんと一緒。

 

まぁそれはいいとして、見ず知らずの24歳の男がいきなり現れて36歳であるさくらのおにいさんと名乗りだし当然混乱するさくら。その謎の“おにいさん”の正体と目的とは?おにいさんとの心の距離が近づくことによって固く閉ざしていたさくらの苦い過去が目を覚まそうとする。

 

 私にも自分がどうあればいいのかわからずあがいていた時がある。小学校で働いていた時の私は、期待に応じようと苦悩していたおにいさんと同じように、何をやってもうまくいかずにひたすらもがいていた。壁を破るすべは最後まで見つからず、できないままに終えるしかなかった。おにいさんはきっとあの日々とつながっている。あのころの記憶を開ければ、おにいさんのことがわかるはずだ。それはわかっているのに、できなかった。

 もうそこまで来ているのに、私の記憶はなぞられるのを拒んでいる。蓋をしたまま13年も経ったのだ。せっかく薄れてきた記憶を、再び鮮やかにはしたくなかった。おにいさんが自分の居場所と離れて楽になったように、私も扉を閉めることで自責や後悔を切り離すことができたのだ。

 昔よくやったように、私は目を閉じて深く息を吸った。そうやって気持ちを落ち着かせていくうちに、重ねた月日が開きかけた扉の上にのせられていく。大丈夫。あの日々は扉の向こうにしかない。

 

おにいさんや結婚相手の山田さん、家族がさくらに向けて語る決心を耳にすることでこころが揺れるさくら。

 けれど、そういうこととは違う、もっと漠然とした大きなものが変わっていくのだ。山田さんが家を継ぐ決心をした時に何かを思い切ったように、おにいさんが親や周りの期待から逃れて家を離れた時に何かを手放したように。

 私も何かをどこかで切り離すことになるのだ。新しく始まる日々にその価値があるのだろうか。

 

 物語も終盤、おにいさんによるさくらのための料理教室をそれまでずっとアパートで開いていたんだけど、その教室も最後ということでさくらにとってもおにいさんにとっても大切な思い出のあるレシピによって、さくらはずっと蓋をしていた、教師として挫折した日々の記憶を、その時に語りかけてくれた、やさしく温かな声を思い出してゆく

 一生懸命にやってもうまくいくことばかりじゃないし、努力すれば許されるものでもない。私は教師には向いていない。やりたいこととできることは違うのだ。正しいことが成立しないクラスにいることで、一番被害にあうのは子どもたちだと。

 辞めることを決断したとき、小森校長は『つらい思いをさせて申し訳なかった』と私に謝った。そして、仕事を投げ出すふがいなさに落ち込む私に、『思い描いたように生きなくたっていい。つらいのなら他の道を進んだっていいんだ。自分が幸せだと感じられることが一番なんだから』と言ってくれた。

 辞めたのは私だけのせいだ。周りはとても良くしてくれた。私の能力不足。それ以外に理由は何もない。 

 

私も、自分で思い描いた未来を歩くために、もがいていた。自分で決めていたはずなのに、その道を歩くのが困難だった。でも、描いていた道を降りてから、見つけたものはたくさんある。 

 

今まで誰にも話さなかった出来事は、口にしてみると取るに足らないことに変わっていた。これぐらいの挫折は、生きていくうえでごく自然に起こることだ。ふたを閉めて自分で重苦しい記憶に変えていただけで、その時々にすてきな出会いも出来事もあった。表に出せば、そのすべては懐かしい記憶になっていく。 

 

 やりたいこととできることは違う・・・ホントにその通りだと思う。夢を思い描くのはとても楽しい。夢を追い求めることは決して悪いことじゃない。むしろ語れる人はかっこいい。でもその夢が叶ったとしても、人には適性というものがある。理想と現実。その残酷な差を目の当たりにしてあなたは受け入れられるのか、妥協は一切許さずそのまま突き進んでいくのか、はたまた諦めるしか道はないのか。。

 

 

 

だいちょまんが大学生のとき、周りのみんなは就職活動や公務員になるための勉強をしていたりと自身の人生をしかと考えて行動していた。なのに僕はなにもできない人間なんだとはなから諦めている節があり、一歩を踏み出すことができずにいた

 

もうすぐ大学も卒業を迎える、でもこのまま就職留年して親に迷惑をかけるのは嫌だし、なにより考えても考えても答えの出ない毎日に嫌気がさしていた、この環境を打破したい、そう思って自分自身に問いかけてみることにした

 

小さいころから食べることが好きで、特にかまぼこや練天ぷらが大好物だった。素材を存分に生かし、魚のうまみが味わえる長崎のかんぼこが大好きだった。だいちょまんは大学生になってから料理をするのが好きだったし、なにかを作ることは昔から嫌ではなかった。それに職人ってかっこいい!和風総本家やサラメシなどのテレビ番組に映る職人さんの姿がとても新鮮に見えた。今は亡き親戚のおじちゃんが作るそうめんやお米は本当に美味しくて、それを家族集まってやっぱりじいちゃんの作るそうめんは違うね~なんていいながら食べる食事はなにものにも代えられない喜びだった。それなら自分が実際に作ったものだったら胸張って誇れるし、自信がつくかもしれないし、そのかまぼこを食べてもらって笑顔になってもらえたらこれ以上の喜びはないじゃないか!そう考えて、長崎でかまぼこ職人になりたいという夢が膨れ上がり、そして、卒業式前日、長崎のかまぼこメーカーへの内定が決まったのだった

 

 それからは肉体労働の日々が僕を待っていた。筋肉も体力もなくて貧相な体にコンプレックスをもっていたから日ごとに体が鍛えられることにうれしさがあった。毎日マイナス20度の冷凍庫で20キロ以上あるすり身を運んだり、かまぼこ板を運んだり。腕には力こぶ、胸板も厚くなり、鏡に映る肉体を眺めてナルったときもあった

 

僕が担当することになったのは板かまぼこ。板の上に紅白のすり身を乗せ、温度の違う2種類の蒸し器で蒸すことで出来上がる。昔はすべて手作業だったらしいのだけど、今はすべて機械化。だから機械の使い方を覚える日々が始まった。40歳のK先輩に教えてもらいながら何回もメモをとっては試しては間違えて試しては間違えて正してもらうの繰り返しだった。いろんな種類のかまぼこがあって、グラム数、機械のスピード、金型、包装、気温によって変動するすり身の固さを考慮して製造、どれかひとつでも狂ったら間違った商品ができてしまう。気泡ができないように、白と赤のコントラバスがキレイになるように必死で機械のしくみやクセを覚えた

 

 K先輩は僕に考えさせながら機械のことを教えてくれた。「人間、間違わないと覚えないんだから」ただ刃物を扱うものなので、ケガだけはしないようにそこだけは強く念を押してくれた。野球が大好きなK先輩、だいちょまんも野球が好きだったので意気投合し、K先輩が所属するソフトボールのメンバーにも入れてもらったりととてもかわいがってもらった。そうして3ヶ月ほど経ってなんとかひとりで機械を操れるようになっただいちょまんを見て工場長がK先輩を別の部署に配属し、だいちょまんが板かまぼこを正式に承ることとなった。それから工場長が僕を指導するようになる

 

工場長はそれまで副工場長であり、だいちょまんが入社した月に工場長になった人だ。だからすごく意気込んでいて、若手育成をしてこの会社を変える!とよく口にしていた。とにかく優しくて決して怒らなかったという前工場長の悪い部分は全部改める、これからは僕の言うことは絶対、逆らうやつはクビ、仕事はできるけど人望は全くない、悪名高い人物だった。必要なのはイエスマンヒットラーのような恐怖政治。30代の社長は工場長に頼りきりで発言力はほとんどなかった。とにかく工場長のパワハラに悩まされた。はじめはだいちょまんにも優しかったものの、怒鳴ってばっかり。あれは“叱る”じゃない、“怒る”。ほかの65歳のベテラン社員さんの話によると、工場長の傲慢さによって何人もの有望な人材を辞めさせてきたのだという。工場長は自分が一番かわいく思ってるから、告げ口や悪口で人を蹴落としてここまで這い上がってきたんだって。思考停止させるような怒鳴り声に血走った眼、「なんでたったこんだけのことができないんだ!」「お前の脳はビョーキだ!」「お前はどこ行っても使い物にならんぞ!」「お前は金もらってる立場なんやぞ、あぁ?あ″ぁ!?」パートのおばちゃんからは陰でヤクザと呼ばれていた。工場中に広がる工場長の怒鳴り声。僕だけではなくほかの社員さんにも向けられる怒声、何回も何回もおんなじことを繰り返し、終わりのない説教に僕はすっかりおびえてしまっていた。本当に怖かった。もうやめてくれっー!て耳をふさいだ。本当に怖かった。自分のイライラを人に当たり散らすことでしか自分を保てないようなひとだった。それも工場長というプレッシャーがあったせいもあるんだろうけど。それにしてもひどい。「かまぼこ職人になりたいんだろ!」そう脅されながら、失敗するたびに怒鳴られて、だからといって泣いたら負けだからおなかに力を入れて必死に我慢して、耐えて耐えて耐えまくった。いつのまにか、怒られないように仕事をするクセがついてしまっていた。なにかをやりたい!とかじゃなくてどうすれば怒鳴られないで済むか、意識がおかしくなってしまっていた

 

 

もともと水産加工には若い人が来ないこともあって、だいちょまんの人見知りだけど人懐こい性格もあってか職場の皆さんには本当にかわいがってもらった。パートのおばちゃんのドロドロとした世界もあったけど、だいちょまんの前では関係なく楽しく話しかけてくれた。みんな僕を受け入れてくれた

 

毒舌だけど人を見る目は凄い世話好きのはんぺんのいとーさん、やさしくて不器用なんだけどやっぱりやさしいくぼたさん、僕が工場長に怒鳴られた後焼きたてのちくわを何も言わずくれて本当にあったかい味がしておいしかったちくわのおじいちゃん、お酒好きな芳さんの作る揚げ天ぷらはほんとにこころが満たされた、姉御肌でかっこよかった川上さん姉妹、おちゃらけていつも笑わせてくれたシバタさん、僕が理不尽に怒られているときにかばってくれたフクさん、競艇話で盛り上がったタクヤくん、ほとけさませとぐちさん

 

 「ここはだいちょまん君が来るようなところじゃないよ。そりゃもちろんだいちょまん君にはずっといてほしいけど、こんなとこで人生をダメにしてほしくない。ここは何かを諦めた人が最後に来るようなところなんだよ」いとーさんはそう僕に語った

 

「いろんな考えを持った人がいるから楽しいんだよ。だからそれを否定するようなことを言っちゃダメだよ。みんながみんな同じ目線だなんてありえない。いっぱい世界があるんだから」ハマグチさんは優しい顔でそう教えてくれた

 

 「一点集中型じゃなくてまわりをよく見て勉強すること。あとは本人の努力次第。自分が満足できるかどうかが大事だからね。何回も失敗して覚えていくんだから。がんばれ^^」セトグチさんは仏様のような顔で僕につぶやいてくれた

 

 僕は意味もなく涙を流すようになっていた。情緒不安定になっていた。誰にも気づかれないようにふさぎ込んでいた。頭の中に音楽をかけるとボロボロと涙が止まらなかった

 

でもここで逃げたら応援してくれた人に申し訳ない、せめてあと数年は耐えなきゃ、でも・・・その頃の僕にはもう、ここに希望はなかった

 

僕は自分の気持ちに素直に向き合うことにした。地獄の年末の忙しさが落ち着いた頃、工場長が僕に「よくここまで頑張った。これからは~したり~に連れてってあげるからね」僕は返事をしなかった。これまで溜め込んだものをすべてぶちまけた。大声で叫んだ。あの手この手で逃げようとする工場長を僕は許さなかった。負けなかった。初めて心の奥からすらすらと言葉が出てきた。やりたいことも一緒に。いままでは涙が勝ってしまったんだけど、言葉がそれを超えた。僕と工場長のせめぎあいは2時間以上にも及んだ

 

 退職までの1ヶ月は工場長による陰湿な行為で当然辛かった。だけど悔いはなかった。ほかの社員さん、皆さんが背中を押してくれた。皆さん本当にいい顔で送り出してくれた

 

 「だいちょまん君は仕事はできるほうじゃないけど、ほんとに可愛かった」

「だいちょまん君は絶対人の悪口を言わなかったよね」

「だいちょまん君はもう、一目で優しさが滲みでているのがわかるよね 笑」

 

皆さんの僕に対する評に勇気づけられた

 

 

この10か月間を無駄にしちゃいけない。あんだけクソみたいに怒られたんだ、もうへこたれないよ。体力だってついた。素直さはいい面も悪い面もある。素直さは信用につながるけど、反面言われやすいってことだから自分自身を滅ぼしかねない。強くならなくちゃならない。芯をもたなくちゃならない。ダメだと感じたことはダメだって創造して叫ばなくちゃならない。そうして自分が作られていく

 

 

本当はたっくさんの思い出があるのだけど、必死でいろんなことはしょらないとここまで書けなかったんだ。結果、工場長の悪口ここで書いちゃってるし、僕だって人の悪口はいうよ!笑

 

 これからはいいことをたくさん思い出していきたい。いろんなかまぼこ食べたんだよ、作ったんだ、話せることたくさんできたよ!

 

ひとつ言えるのは僕は甘い人間だということ。これだけ多くの人に迷惑をかけてしまっったんだ。甘ったれた精神は捨てなきゃならない。~しなきゃって言葉は僕にとっては無意味だけどね。変わらないものは変わらないし、変えようと思うから魅力が出てくるのだし、なんにせよ自分をどんどん信じて生きていきたい、無力なんかじゃない、僕だって人を笑顔にする力があることにはあるんだ、それは間違いない

 

「ま、予想通りに行かなくたって、さくらが幸せに思えるんならそれでいいじゃん」 

 

おにいさんの言葉をふと思い出せる、そんな日々を過ごせたらいいな。生活はまだまだ続く!