ものたりない
よっしー「にーちゃんの作る料理は、なにか物足りないんだよね」
家族全員で集まる機会があり、みんなで食事をとっているとき、ふと、よっしーが口にした
確かによっしーの言う通りなのである。だいちょまんのつくるご飯にはいつも何かが足りないのだ
その足りないものというのは味覚的なものなのか、それとも…
だいちょ「それは愛情だったりして 笑」
よっしー「違う違う。こないだにーちゃんさ『塩コショー忘れてた』って自分で言ってたじゃん」
お母さん「…じゃあ自分で作ってみなさいよ。ごはんつくるのって大変なのよ!」
どうやら味覚的なことだったようだ。わかってはいるけど、少しだけ安心。お母さんはよっしーの発言に一瞬表情を変える。だから一応フォローしてくれた。でもよっしーはみんなの前で『愛情も足りないかな 笑』なんてジョークを挟むような男じゃない。よっしーの優しさにだいちょまんが甘えている部分は多大にあるのだけれど。
だいちょまんはそそっかしいから、よくなにかの過程を飛ばすことが多い
野菜のちょっとした下処理だとかこの料理にはマスト!という材料を用意しなかったことでそれだけで台無しにしてしまうこともある
また、だいちょまんはあまり味見をしない。食卓に並べて一口目までをとっておきたいのだ。もちろんめちゃくちゃな冒険はしないけど、この料理に冷蔵庫の余り具材をぶっこんだらおいしくなるかな?この調味料は?と、その日しか食べられないであろう料理を作るのが好き
それがいい方向に傾くこともあるし、当然その逆もある
どうなるか分からない、不安定さを楽しんでいる節がある。前回と同じ味じゃつまんない、もっとおいしくなってほしい、だけどどうなるかはわかんない。その期待と不安の入り交じりが、新鮮な気持ちを生み出し、ご飯を作りたくなる源となる
でも食べる方としてはたまったものではないよね。せっかくお腹を空かせているのに、だいちょまんのギャンブル的な料理を提供されてばかりでは嫌気がさすのも無理はないだろう
現在はよっしーと二人暮らしをしているから、ちゃんとしたご飯を作りたいという気持ちはある。自分の作った料理を食べてもらいたい!って欲があるから
レシピが浮かばなくて結局ファストフードに逃げてしまうこともあるけれど、極力野菜をたくさん使う料理を出すよう心がけている
23年生きてきて分かったことがある。その人のこころの表れは一杯のみそ汁でわかるのだ。しょっぱかったらその人のことがキライ、もしくは自身が傲慢になっている。水っぽいんだったら今の自分自身にまったく自信がない
みそ汁はシンプルゆえ難しい料理だ。一口ですぐその人のこころがわかる
味見をすればいいだけのことなんだけどね。だけど、味見する人のこころがぶれぶれだったら味見は全く意味を成さない。『もうこれでいいや』って妥協するから
常に安定した、もしくはそれ以上の味を求められる食品会社や飲食店はとても大変だと思う
本当に食べる側は敏感だから。すこしでも味のクオリティーが下がれば、すぐお客さんは離れていっちゃう。それが一番怖いこと
だいちょまんは自炊だけでこうなのに、ましてやそういった仕事を続けるのはとても難しいことかもしれない。だからこそダイレクトにお客さんの反応も知ることができて、やりがいも大きいのだろうけど。自分自身が満足できなければいつまでたっても…
『あのね、恋人なんてものは、いざというとき、ぜんぜん役に立たないことがあるの。これは本当に。でも、おいしいスープのつくり方を知っていると、どんなときでも同じようにおいしかった。これがわたしの見つけた本当の本当のこと。だから、何よりレシピに忠実につくることが大切なんです』
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『それからはスープのことばかり考えて暮らした』に登場するあおいさんの言葉
いろいろあれこれ悩んでも、最終的にたどり着くのはレシピ通りつくることなんだろうな
まだまだ道のりは長そうだ
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