ひつじ年だもん。なみのげイヤー!《後編》
『はこクラゲ』をライブで初めて聴いたとき、“痛み”という単語が刺さったのを覚えている。おそらくそれは、あの時に自分のなかで強く反応するだけのなにかがあったのだろう。佐賀で新曲披露の場に立ち会えたことはとても嬉しく思う
(20141115 「echo」folk enough 「Mario found me a good Exit TOUR」 より)
今から2年前のシー大軽音卒業ライブ、周りは在学生や卒業生で溢れているなか、部外者のだいちょまんも就活スーツに身を包んで観客席から参加していた。あの熱気は本当に凄かった。自らの留年を笑いにしつつめちゃんこかっこいい演奏をするバンド、ベボベのshorthairを歌うコピーバンド、トリを務めるなみのげがカバーする相対性理論のloveずっきゅんは今でも頭から離れない
でもそれ以上に忘れられないのは、水色Tシャツに着替えて最後の挨拶をする軽音部の皆さんのコト。「社会の荒波に揉まれてきます!」「ちゃんとSNS更新して生存報告しろよ!」と訴える人、マイクを持つも涙が止まんなくてなかなか声を出せない人もいたり
あの軽音部への愛に溢れた空間を肌で感じることができたのも嬉しい。だいちょまんも一生懸命なにかに捧げればよかった、と後悔も感じつつ
『はこクラゲ』はなみのげがそれから社会の荒波にもまれてから初めて披露された曲。これまでの作品にはなかった“強さ”がプラスされている。ほんとだいちょまんの勝手な想像で話しているのが申し訳ないとは思うんだけど続けます
ああ、溶けない
こころのわだかまりが
ああ、あの日の痛みのまま
ずきずきと狙ってる(「はこクラゲ」より抜粋)
マジックミラー
僕を見て幸せに笑う僕が言う
監視されて閉め出され
ここから逃げれないみたい(「はこクラゲ」より抜粋)
逃げようとした私に立ちはだかるのは残酷な現実
マジックミラー=「監視の内面化」
逃げることもできず、溶かすこともできず、見えないなにかに監視される日々
人は自分で自分のことは見れないけれど、心の内だったら…?
どうやらマジックミラーの向こう側にいる僕は、苦しんでいる僕を見て幸せに笑っているみたいだ
それが分かっただけで心強いし、十分なのかもしれない
真っ白な箱の中
クラゲのようふらふら生きる
まだ見ぬ未来 まっすぐに立たずに
せーので飛び出せ
(「はこクラゲ」より抜粋)
真っ白な箱のなかは、誰にも邪魔されることのない世界
真っ白な箱の中だったら何をしても許される。誰も見ていないんだから
だけどそれはひどく空虚な世界でもある
心地いいかもしれないけれど、ずっといたら狂ってしまいそう
今は真っ白な箱があるマジックミラーの部屋をくらげのようにふらふらと行き来している段階
くらげは流されているように見えて実はそれが生きていくための技でもある。毒も携えているし、内に秘めたるものは計り知れない
あちら側の世界に飛び出せることを信じて、こちら側の世界を生きなきゃ
あの日の痛みも糧にしながら
(20130306 シー大軽音卒業ライブより)
…ということでひつじ年も残りわずか!
CD発売やHPリニューアルといったニュースを提供してくれた並之下の2015年。
でもなにより嬉しいのは、遠距離バンドになった今でもライブを通して僕たちの前で歌い続けてくれること
これからもそっと陰ながら応援したいと思います
12月にライブも決まっているしね(^^)
まだまだ話したいことが溢れ出るんだけど、それはまたいつか
あ、最後にもうひとつだけ。
並之下の音楽は、僕の、みんなの脳内BGMになっていますよ